史跡めぐり案内(旧大宮郷周辺)




平野屋跡
 現在の矢尾百貨店の南側駐車場の背後にある平沼歯科の場所に、事件当時、旅人宿「平野屋」があった。ここが、明治16年から17年の事件勃発までの間、高岸・坂本・落合らが高利貸説諭を大宮郷警察署に請願した際に本拠地としていた場所であった。  明治17年9月27日の高岸善吉・飯塚森蔵・犬木寿作・村竹茂市の4名が各村の委任状を持って警察署に請願をし、大宮郷警察署長・斎藤警部によって却下 された際もこの場所を使っていた。彼らばかりでなく、風布の大野福次郎らも出入りしており、困民党請願運動を考えるうえでは重要な場所である。
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秩父鉄道お花畑駅もしくは西武鉄道西武秩父駅から徒歩10分。矢尾百貨店の南側(上町寄り)駐車場脇
小鹿坂峠
 明治17年11月1日深夜、小鹿野を襲撃し占拠した困民党軍は、翌2日早朝諏訪神社(小鹿神 社)を出発し、大宮郷に向けて進撃を開始した。途中、田村郷・円福寺脇の山道を入り、そこから小鹿坂峠を越えれば札所23番・音楽寺の背後に出ることがで きる。大宮郷を眼下に一望できる音楽寺に向けてこの峠を上って行ったときが困民党軍が最も力強いパワーをもっていた時かもしれない。
 現在でもこの峠はほとんど手を加えられることなく残っており、音楽寺と田村との間を歩いて行き来することができる。
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秩父札所23番音楽寺へゆき、その裏手。
音楽寺
 2日午前、小鹿野から田村郷へ入った困民軍は、そこから小鹿坂峠へと進み、大宮郷・秩父盆地を一望できる23番札所・音楽寺に到着する。
 そこで柴岡熊吉ら斥候の「大宮郷へ進軍せよ」の合図となる鉄砲2発ほ聞き、梵鐘を乱打すると一気に音楽寺の前の坂を駆け下り、荒川を渡り、大宮郷中心部へとなだれ込んでゆく。
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音楽寺関連ホームページ
地蔵院跡
 音楽寺に待機していた困民党軍は、合図の銃声2発を聞き、寺の梵鐘を乱打して一気に武の鼻の渡しを渡渉し、いわゆる「ずるま坂」を登って大宮郷になだれ込んでいった。
 一方、田代栄助や井上伝蔵、宮川津盛、小柏常次郎らはいったんこの近戸村・地蔵院を臨時本部として入った。
 ちなみに現在この地は消防団施設と広場であり、地蔵院の建物は秩父市別所地内に移築されている。映画「草の乱」で高岸善吉宅として登場する建物がそれ。
 また、この地蔵院跡の脇にある墓地には柴岡熊吉の墓(自然石)もある。
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郡役所跡(現・秩父地方庁舎)
 大宮郷中心部を疾風の如く駆け抜けた困民軍は、郡役所・大宮郷警察署・裁判所・高利貸を襲撃する。秩父郡役所はその時既に“もぬけの殻”で、役人たちは郡外に逃げ去った後だった。困民軍はすかさずこの建物を本陣とし、「革命本部」の札を立てた。
 現在その場所は秩父地方庁舎であり、当時を偲ばせるものは皆無となっているのが残念だ。
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●バスの場合
西武鉄道西武バス・小鹿野・吉田方面ゆきバス「上町一丁目」下車すぐ
大宮郷警察署跡
 困民軍の襲撃対象のひとつとなった大宮郷警察署は現在現在の矢尾百貨店の向かい側、NTTの建物が建つ場所にあった。郡役所のすぐ西側。炊き出しを依頼した矢尾は真向かい、そして裁判所も目と鼻の先という、文字どおり大宮郷の「中心部」に位置していた。
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●バスの場合
西武鉄道西武バス・小鹿野・吉田方面ゆきバス「上町一丁目」下車すぐ
秩父神社
 言わずと知れた「秩父夜祭」の行われる神社である。ここが困民軍の11月2日夜の宿営地となった。翌朝、官軍迫るの報に甲乙丙の3隊に分かれてそれぞれ出発していった。
 境内に秩父事件をしのばせるものはないが、神楽殿脇にある灯篭は田代栄助の父・田代源左衛門が文化年間に寄進したもので、現在でもその名を確認することができる。
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秩父神社ホームページ
青木与市・窪田鷹男巡査墓
 秩父事件にて殉職した2名の警官が札所15番・少林寺の墓地内に埋葬されている。
 窪田巡査については、阿熊街道入口に、青木巡査については大淵・長楽寺前に、両名がそれぞれ絶命したとされる場所に石碑が建つが、事件ののちにこの場所に政府の手により葬られ、墓石が今に伝えられている。
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秩父鉄道秩父駅から徒歩5分。札所15番少林寺墓地内
秩父事件追念碑
 落合寅市の四男・九二緒氏が発起人となり、秩父地域の様々な分野で活躍する人々に働きかけを行うことで昭和40年に記念碑が建立された。
 父の遺志を継ぐ形での顕彰碑であり、本来ならば吉田・椋神社境内に建てたいという希望があったようだが、事件から80年経過してもなお氏子の反対にあって実現せず、この地に建てられたという伝説がある。
 写真右側がその追年碑だが、その揮毫をした人物に特に注目されたい。
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●電車の場合
西武鉄道西武秩父駅から徒歩15分。羊山公園内忠霊塔そば
田代栄助墓
 秩父困民党総理・田代栄助の墓はもともと熊木の田代栄助家の近所、羊山斜面にあったが、現在は移築され、影森の金仙寺墓地にある。  かつては墓参者誰もが自由に手を合わせることができたが、心ない人々のいたずらにより墓が荒らされてしまったため敷地に入ることはできない。区画の外からの墓参・見学となる。
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