フジテレビドラマ『熊本・菊池伝説殺人事件』への抗議




フジテレビドラマ『熊本・菊池伝説殺人事件』の菊池貫平像、秩父事件像に抗議する

2011年7月4日
フジテレビ編成制作局編成部 再放送「菊池伝説殺人事件」担当御中

鈴木義治(秩父事件研究顕彰協議会会長)

拝啓
 私は1972年の秩父事件88周年集会以来秩父事件の研究と顕彰に努める秩父事件研究顕彰協議会会員の一人です。会は、一万余の人々が関わった秩父事件 の震源地となった秩父からこの事件について再評価し、先人たちの希望と努力を顕彰し、復権させようという目的で、秩父事件から百周年を記念して設立された 「秩父事件顕彰運動実行委員会」を母体とし、1985年に発足しました。  このたび、2005年に制作された「菊池伝説殺人事件」が6月18日に再放送され、興味深く観させていただきました。主人公浅見光彦の兄・刑事局長が簡 潔に事件の背景を解説する場面で「新政厚徳」「日本改革鮮血党」の幟旗が翻る蜂起の場面が設定されなど、事件に興味を持つ者として、関心を高めました。 しかしながら、TVドラマが、公共の電波を発信して不特定多数のものがそれを享受していることを鑑みて、映像についていくつか指摘をせざるを得ない場面があり、書簡をしたためた次第です。

 1 略奪者として描かれた菊池貫平像がゆがんだ秩父事件像をつくっていくことへの懸念

 「菊池貫平は秩父事件の首魁で、本家の名を騙って略奪をほしいままにし、菊池の名を汚した憎い男である」、と信州菊池氏の分家・菊池義友に語らせ、さら に、北相木村考古学博物館の学芸員らしき人物に、「過激派の博徒を主体とした本部を構成し、本家の名を得意になって吹聴し、本家を騙って金品を略奪し、本 家は事件後の尻拭いだけでなく、罰金まで追徴されていた・・菊池一族の怒りも納得できる」と語らせており、あまつさえ、浅見光彦の兄を登場させ、大学時代 の研究者の考えとして、「秩父騒動の時、本家の名を騙って奪った略奪品をどこかに隠し、貫平の秘宝としている」としていることは、菊池貫平や秩父事件が、 彼らの語ったような人柄・事件像であると捉えられる危惧があります。「フィクション」と書けば、実在の人を侮辱し事件内容を変えてもいいのですか。
 これらの見方は明らかに一方的であり、反論させる設定があってしかるべきでした。事件史では、菊池貫平は在地の代言人(弁護士)として活躍していた自由 党員で、参謀長として「私に金円を略奪した者は斬」などの軍律五ヶ条を起草し、早期国会開設を説く人物です。日頃の「正義の味方、庶民の味方」・浅見光彦 に、事件が起こらざるを得ない時代状況を語らせれば随分違ったものになったと思います。

 2 地元の人は、貫平について、本家を騙り略奪した人物として受け止めているのですか。貫平の秘宝はあるのですか。

 秩父事件について、井上幸治氏『秩父事件』(中公新書)や信州出身の井出孫六氏『秩父困民党群像』などがあり、埼玉県警出身の浅見好夫氏による『幻の革 命』や『秩父事件史』などの好著もあり、それらを紐解けばもっとよく秩父事件像がわかったはずなので大変残念なことでした。また、2005年には秩父事件 を扱った『草の乱』(神山征二郎監督)が上映されていた、そうした状況にもかかわらず、なぜ菊池貫平一族の名誉を汚す映像なってしまったのか、それがわかりません。お教えください。

 3 光彦への秩父事件像の紹介についての疑問

 学芸員と思われる人物がなぜ一方からのみ見た菊池秀之氏の『因縁の菊池一族』を光彦に紹介させる設定をしたのですか、これは、北相木村考古学博物館学芸 員の資質を問われることになりますのでお尋ねします。「学芸員」であれば、事件史研究や貫平の側からの注釈をつけて手渡すはずです。21世紀の段階で、 「菊池一族の怒りも納得できる」という学芸員と思われる人物のセリフには驚きました。

 4 なぜ事件名、人名に別名を使わなかったのですか。

 事実である秩父事件や菊池貫平が実名で登場してくるのにもかかわらずどうして「このドラマはフィクションであり、登場する団体、人物などの名称はすべて 架空のものです」と最終的に書いたのですか、そう書くのであれば最初から別名を使えばよいと思うのですがなぜ使わなかったのですか。
 さて、なぜ私がこのドラマに苦言を呈したかを最後に書きたいと思います。
 それは、まともな生活をしたいという山村農民たちはやむにやまれず立ち上がったことを知ったからです。武器を持って立ち上がらせたのは「明治政府」「高 利貸」たちの民衆に対する「なさりよう」だったのです。利息制限法があるにもかかわらず、1月に借りた10円(実質8円)は11月には26円余になってい ました。悪徳高利貸の家を焼く時、延焼を防ぐために隣には濡れ蓆が掛けられていました。
 当時の民衆は重税と道路課役、そして高利貸の暴利に苦しめられ、政府のデフレ政策で山村秩父農民をはじめ各地の農民生活は破綻し、政府は手を打ちません でした。国会のない時代に請願は拒否され、高利貸への暴利説諭もしない政府への異議申し立てが秩父を中心にやむにやまれず蜂起となりました。
 事件後の弾圧は横暴を極め、自首したものに対してまず木に吊るし棒でたたき訊問した、と当時の神主の記録にあります。秩父の参加農民の子孫はある者は流 亡の民となり、ある者は、息子夫婦に迷惑をかけてはいけないと山奥深く隠れ住み息をひきとる者もいました。「暴徒」「暴動」と揶揄されました。
 「私の家は伯父さんが死刑になり、おじいさんが刑務所にとられ、残された母とおばあさんは、二人の働き手を一度に失って、なみたいていの苦労をしたので はない、ということを子供のときからきかされてきました。おじいさんは刑務所を出てきて商店をはじめたところ、たいへん金の工面がよくなった。すると『あ そこの家は、秩父暴徒で行ってゼニを儲けて身代こさえた』といううわさをたてられました。私は先祖が悪い事をしたのだから、その罪滅ぼしのつもりで、村の 仕事を一生けん命やってまいりました。皆さまのおかげで、それが実は悪いことではない、政治が悪かったんだ。むしろ良いことをしてくれたんだ、ということ が言われるようになって、昨年、秩父(93周年の集い)に参加してみて、おもわず目頭がうるむようなおもいがしました」(『文芸秩父』26号1979年)
 これが民衆の律義さです。
 長い長い時間がかかってやっと秩父事件参加者が口を開くようになりました。「世のため人のために尽くした」先祖に誇りを持つようになり、かつて「襲った 側」「襲われた側」として「分裂していた」人々も秩父事件を「圧制を変じて自由の世界を」つくるために立ちあがった、と正当に評価し始めたのです。
 ところが、2011年入って「菊池伝説殺人事件」が2月7日にTBSで、さらに、貴フジテレビが6月18日に2005年の作品を再放送することになっ て、秩父事件をめぐる上記のような危惧が生まれてきました。そこでこのような書簡を発送することにした次第です。
 秩父事件88周年の集会を開いた時の総理・田代栄助のお孫さんの言葉を思い起こします。
 「88年目にしてやっと陽の目をみた」
 事件参加者子孫の方々の苦衷は計り知れないものがありました。
 今後とも電波を預かるみなさんの人権への配慮をよろしくお願いしますとともに、私の疑問へのご回答をよろしくお願いするしだいです。

敬具


※この抗議に対し、3週間以上経過した8月1日現在、フジテレビから本会会長鈴木宛に返答はありません。(事務局註。2011.8.1)


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