追悼 菅原文太さん

秩父事件研究顕彰協議会会長 篠田健一

 12月1日午後2時ごろ、上毛新聞社から電話があり、菅原文太さんが亡くなったことを知らされました。11月9日の、秩父事件130周年記念集会で菅原さんは講演したのですか、という内容でした。
 思わず「本当ですか」と言ってしまいました。
 しばらくして、『東京新聞』の記者から電話があり、集会の講演と菅原さんの様子について取材され、続いて『埼玉新聞』の記者からも同様の取材を受けました。
 翌朝の『東京新聞』は、「亡くなる19日前、明治政府の政策で困窮した民衆が武装蜂起した秩父事件について、埼玉県秩父市で講演した。(中略)困民党は権力に対して勇敢に戦ったが、今の日本人は権力に抵抗する力が弱くなった。おかしいと思ったことには発言し、行動しなければ。菅原さんは張りのある声で1時間半にわたり熱く訴えた。会場から『勇気づけられた』『感動した』との声が上がったという」
 『埼玉新聞』は、「『権力と戦う人が好き』―秩父事件題材に先月講演―」の見出しで報道しました。
「亡くなった菅原文太さんは先月9日、秩父市下吉田の吉田農村環境改善センター(やまなみ会館)を訪れ、秩父事件130周年記念集会の講師として、『秩父事件と私』と題して記念講演を行っていた。
 主催した秩父事件研究顕彰協議会の篠田健一さんによると、菅原さんは1時間半の間、終始張りのある声で、椅子に座り今の社会についての思いを語り続けた。
 講演では、現在の政治について疑問を呈した上、『今の日本人は大人しくなり、声を上げていこうという姿勢が弱くなっている。秩父事件で権力と戦った人たちが私は大好きだ』と語っていた」
 週刊誌の『サンデー毎日』を読んで知ったのですが、菅原さんは11月12日に東京の病院に入院されました。秩父での講演の3日後のことです。
 したがって、「秩父事件と私」の講演が菅原さんの生前の最後の講演となったのではないかと思います。
 そう思うと、あの講演は菅原さんの遺言のように思えます。
 菅原さんは安倍政治を、怒りをもって批判しました。福島の原発事故の原因の究明がなされていないにもかかわらず、原発を再稼働する。国民の知る権利を踏みにじる秘密保護法を強行する。海外で戦争するための集団的自衛権容認の閣議決定をする。許せないと。
 130年前の秩父事件を起こした秩父困民党は果敢に権力と戦った。私は秩父困民党の人たちが大好きだ。
 菅原さんはそう語りました。この言葉を脳裏に焼き付けたいと思います。
 アンケートの感想の多くは、菅原講演に勇気づけられたと述べています。
 菅原文太さん、貴重なご講演をありがとうございました。
 安らかにお眠りください。合掌。
                                       (会報『秩父』No.164より)

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