秩父地方の自由民権運動

 自由党が結成されたのは、明治14年であった。

 秩父に自由党の組織が誕生したのは、明治15年。
 最初の入党者は、禊教の教師でもあった下日野沢村の中庭蘭渓と、金沢村の若林真十郎だった。
 彼らを自由党に勧誘したのは、若林真十郎の実兄だった群馬県坂原村法久の新井愧三郎。 秩父地方は、群馬県緑野・多胡・甘楽郡や長野県南・北佐久郡と、峠を介して経済的にも文化的にも、日常的に不可分の関係にあった。

 群馬県の自由党組織は、明治15年の福島・喜多方事件の際に支援に出向き、大衆闘争の実態を学んだと思われる。
 秩父の自由党員たちは、そのような群馬県の自由党の影響を強く受けた。

 秩父自由党の幹事格だったのは、中庭蘭渓の弟子だった下日野沢村の村上泰治だった。
 蘭渓や泰治の住んだ下日野沢村では、泰治を中心とする一群の青年たちが、自由党の行動隊のような形になっていた。

 彼らの活動の実態を示す史料は少ないが、明治17年2月頃に、大井憲太郎が演説会を開いたという記録がある。
 またその当時、田代栄助が村上泰治を訪ねて、自由党入党を申し込んだ。

 落合寅市は、この年3月の春季自由党大会に出席した高岸善吉から、負債問題を名として民衆の組織化をはかるという方針が秘密裏に確認されたと証言している。

 「密偵殺し」の容疑で村上泰治が逮捕された後は、井上伝蔵が幹事格となり、自由党員を拡大して秩父事件を迎えた。

 研究状況としては、秩父事件を自由民権運動の一環だとする研究動向と、自由民権期に起きた民衆蜂起であるが、民権運動とは異質の民衆運動だとする研究動向が対立、雁行している。

 

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★この項目に関する参考文献★ 

    千島寿『困民党蜂起』(1983 田畑書店)
     秩父民衆は、自由党の思想を理解したというより、いわば期待感で自由党に接近したと述べている。

    稲田雅洋『日本近代社会形成期の民衆運動』』(筑摩書房 1990)
     秩父民衆が自由党に抱いた期待感は、理念的でなく幻想にすぎなかったと述べている。

    井上幸治『秩父事件』(中公新書)
     秩父事件を「自由民権運動の最後にして最高の形態」と規定した。

    江村栄一『自由民権革命の研究』(法政大学出版局書)
     秩父事件をひかえた時期の自由党の動向について、詳細にあとづけた論文が収録されている。

    清水吉二『群馬自由民権運動の研究』(あさを社)
     秩父の自由党に大きな影響を与えた上毛自由党に関する論文が収録されている。

    中澤市朗『自由民権の民衆像』(新日本新書)
     秩父事件を「自由民権運動の一環」と規定し、自由民権運動は日本の民主主義の源流だと述べている。

    色川大吉『困民党と自由党』(揺籃社)
     武相困民党についての興味深い考察を主課題とする書物だが、秩父事件についてもふれてあり、「民権運動の発展の一形態である」と規定している。

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