第49回フィールドワーク「震源地石間村を歩いて」


 平成から元号が変わり日本全体が胸を踊らせた五月の新緑が眩しい朝。駅前の三峯神社行きのバス停には大きなリュックを背負う老若男女が長い列を作り平和な時間を過ごしている。それを横目に私は向かいの吉田行きのバスに乗る。揺れる道中、頂いた資料と車窓からの眺めを照らし合わせる。歩道に掲ぐ令和と書かれた日の丸、舗装されている道路、生い茂る杉木、この現代的な風景に想像力を膨らませ明治一七年に想いを馳せる。
 今回、このフィールドワークに参加したきっかけは、私が所属する劇団埼芸第一〇三回公演が秩父事件を題材にしているからである。創立当初から題材にしたいと願いつつも脚本が書けず実現しなかったが無理もない。秩父事件は長く語られていなかったのだから。そして創立以来五〇年越しに公演が決まった。脚本のモデルになっている現地に行き、自分自身としてだけではなく、時には役の気持ちになって現場の空気や時間を感じることは私達の日常だ。
 六〇分ほどバスは走り、万年橋で降りる。空気が澄んでいておいしい。清らかな鳥の鳴き声に包まれながら五分ほど歩くと、右手に人ひとり歩けるほどの細い坂道がある。少し登るとぽっかり空いた茂みの中に落合寅市氏の墓があった。落合寅市といえば恩赦で出獄の後、同士の墓に「志士」の字を刻んだことで知られている。警察の反対を押しきり貫いたことには墓石からも不撓不屈の精神を感じる。加藤織平氏の墓についた投石の傷跡には、筆舌に尽くしがたい子孫の方のメッセージを感じる。どういう思いで当時それを見ていたのか。
 新井悌次郎氏の住居跡を訪れたとき「景観は人間が作り出すもの、ここら一帯は当時田畑が広がっていたが今はすっかり」と聞いた。たしかに見る影もないがふと山の上から息を殺した男達の汗と土の匂いが一斉に走り降りてくる情景を想う。歩いているうちに、すっかり私の五感が研ぎ澄まされている。
 人間の強さとある意味の弱さ、理不尽に狂わされた歯車を考える。そして東京からみたら「こんな山奥」で立ち上った狼煙が明治政府を脅かすほどの勢力だったことが、秩父事件は農民一揆でも暴動暴徒でもないと容易に想像できる。 帰りのバスで、痛々しく削られた武甲山に迎えられタイムワープから抜けた。芝居の題名は「山の背の空―秩父れぼるーしょん―」。そう、革命、である。(劇団埼芸 堀越飛鳥)



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